書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

月亭方正の落語をきいて方正に魅了された話。

 

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  本日、私は関西で行われる合同企業説明会に参加すべく会場入りした。しかし、到着すると何やら企業説明会の前に、落語家の月亭方正(✱以下、方正とする)による講演会があることを聞いた。その後に持ち前の落語も披露してくれるという。

 幸い、定員内でせっかくの機会なので、私も拝聴することにした。その内容が、今日聞いて、今日書き留めておきたいくらい素晴らしいものだったので、筆を取らせていただいた次第である。

✱本記事は、3月13日の月亭方正講演会で聞いた内容をもとに作成しております。


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月亭方正ーお笑い人生の始まり

 この話がまたおもしろく味わい深い。今の方正のキャラクターの源泉となっていることがよく分かる。

 

「方正ちゃん、面白いからお笑いやってみたらどう?私、天職だと思うな!」

当時、中学三年から5年間つきあっていた彼女から放たれたこの言葉が全ての始まりだった。当時これを聞いた方正は喜ぶ前に、「天職」の言葉の意味が分からなかったらしい。

 

 後に彼女から言葉の意味を聞かされた方正は、彼女から褒められたという気持ちと、天職という言葉の素晴らしさに、まさに天にも昇る心地だったという。自身のお笑い好きも相まって、20歳で東京へ出てNSCに入門することを決意する。NSCとは新人お笑いタレント養成所のことである。 

 

人生最初の転機【20〜39歳】

 最初の一番大きな仕事が、かの有名な「ガキの使い」である。30年以上経った今もなお愛されている長寿番組だ。そこで開花したのが方正のスベリ芸であったという。しかし、当時の本人曰く、「自分は面白いと思って、東京まで来ているのに、なぜこれほどスベってバカにされなければならないのか」と真剣に半年間ほど悩み続けていたらしい。

 番組が終わり収録が終わると、家に帰って枕に顔をうずめて泣き叫ぶ毎日だったという。こんなはずじゃなかったのに、という負の思いが蓄積していき、次第に本気で、お笑いを辞めることも考えるようになった。本当に辞めかねない状態だった。

 しかし、当時の方正は、ある日を境に考え方を180°変えることで窮地を乗り切った。これまで反発し続けていた、自身のお笑いスタイルを、受け入れることにしたのだ。

「このスベリ芸でありがたいことにお金がもらえている。ならば、受け入れよう。これが自分に与えられた使命なのだ。」と。

 

考えを一変させたことで、以前にも増して、様々な仕事が舞い込んで来るようになり、当時サラリーマンの平均年収の3〜4倍はもらえていたらしい。

 

 

2度目の転機【40歳】

 本人曰く、40歳までは長いものに巻かれ続けてきたという。その筆頭がダウンタウンである。30年間とぎれることなく、第一線で活躍し続ける彼らは、同業者からみても、もはや化物で超一流という。

 ダウンタウンを筆頭とするNSC一期生からなるグループは、上からダウンタウン、今田、東野・・・ときて方正は6期生である。他の同期は全員辞めたので、6期生は月亭方正一人のみという。

 身近にいるスーパーメンバーを横目に、当時の方正はこうふり返ったという。お笑いを始めて40歳までの二十年間で自分が築き上げたものは「へたれ・アホ・スベリ芸」の三つだけだ、と。受け入れながら送ってきたお笑い人生とは言え、何もなさ過ぎる。自身のキャリアに愕然とした方正だった。このとき40歳。

 まだ、先輩に水をあけられるのは心許せる。しかし本人が最も参ったのが、後輩に負けていると悟ったときだった。

 ある日、地方の営業で舞台でお笑いをすることになった。順番は前がチュートリアル、後ろにブラックマヨネーズというものだった。前後両組とも、お客さんを笑顔にさせて悠々と舞台を引けてくる。

 しかし次、方正の番になり舞台に立っても、たった10分間でさえ、ふだん番組で団体芸を専門にやってきた方正は、客を誰ひとり笑わせられなかった。目の前のお客を自分ひとりの力で笑わせられないことと、後輩に負けたことが重なり、当時の方正に大きなショックを与えた。

 ここで人生二度目の転機がやってくる。道に迷いかけた方正がこの時すがったのが、孔子の「論語」である。15歳で志学、30歳で自立、40歳で不惑と説いた孔子の教えを順番に、自身の人生となぞられてみる。

 

当時40歳の方正は直感した。

「俺の人生、今でも惑いまくりやないか」と。

 

改めて、何かに身を落ち着かせなければ、と思い立った方正は、たまたま桂枝雀の舞台を観る機会があった。それが後の運命を変えた、落語だった。 

 

 

落語に身を捧げる50歳【現在】

 人生で初めて生で見たという落語。桂枝雀に導かれるかのように、落語の面白さ、かっこよさに惚れた方正は一念発起した。「人生をかけるのはこれしかない」と。

 やっと一つのことに身を捧げられるようになり、落語に入門した当時40歳から10年間経った今まではずっと、精神が安定しているという。

 若い頃に比べたら、自然とお金も使わなくなったらしい。若い頃は日々の鬱憤を晴らすかのように、浪費することで心の埋め合わせをしてなんとか平静を保っていた。

 現在方正には、5歳の息子と高校三年の娘がいる。息子にはまた大きくなったら言うつもりだというが、娘には一つだけ言い続けていることがあるという。それは「一つやりたいことを見つけて、それで食べていけるなら、それほど幸せなことはない」と。

 ふつう人は神社にお参り等するときは、毎回願い事が変わるものだ。しかし方正は、それがここ10年間一切変わっていないという。以下の二つの願い事である。

 

「家族が健康でいられますように」

「落語で人をもっと笑わせられますように」

 

所感

 

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 すでにテレビ番組で見知っていたことでも、やはり芸能人の口から、それも生で聞くと、より現実味を帯びて感じられる。ダウンタウンという大スター。しかし私はダウンタウンが❝おもて❞のスターであるなら、月亭方正は❝かげ❞のスターであると思う。言い換えるなら、これまでの彼の人生から反逆のスターとも言えよう。

 今日の講演ほどの、彼の人生を知っている視聴者が、一体世の中にどれほどいるだろうか。多くの視聴者は、年末にプロレスラー蝶野にただただ殴られる人だ、という認識かもしれない。

 ひたすらに失敗と葛藤をくりかえし乗り越えてきた、月亭方正その人に私が今日抱いた印象は、一般人の我々の感覚に近いということだ。ふつうの人と同じように、挫折し、努力し、成功してきた。ただ普通の人とあきらかに違うのは、彼のもつ這い上がる底力だと思う。

 本日彼は、30分の講演後に落語15分というスケジュールで演じてくれた。40歳で落語の道に入門したからといって、なにも彼がこれまで生涯築き上げてきた全てを、ないがしろにしているという訳ではないことに安心した。

 その落語の中にも、持ち前の自虐ネタが生きていたし、むしろあまりに楽しそうにしゃべる様子から、一瞬自虐ネタに思えなかったほどだ。

 団体芸ではなく、自分に嘘をつくことなく、ガムシャラに人生を駆けぬけてきた月亭方正。就活生を前にした今日の落語を大歓声のうちに終え、高座から深々と頭を下げる様子は、テレビ以上に頼もしく、そして、大きくみえた。