書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

「好きなことで生きていく」より、好きなことして死にたい。

 

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巷で話題になっている新しい生き方のテーゼ、❝好きなことで生きていく❞

主にユーチューバー、ノマドワーカーといった新しい職業形態の人々によって提唱されているイメージがある。

しかし、いつの時代も「自分の好きなこと」で生計を立てていくということは、至難の業でほんの一握りの才能人しか、達成できないことである。

 

私はド真ん中の一般人なので、あとは就職できそうな職を選ぶしかない運命にあるということは、自分でも心得ている。したがってせめて、好きなこと=自分のやりたいことを一度でいいから人生のうちにやって死ぬというテーゼを掲げていきたいと思う。 

 

 

生み手になり得る受け手

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 人類史上、最も多様な可能性に満ちあふれた現代。「それなりの暮らしができる人」というくくり方をすると、かなりの人が当てはまると思う。

 ネット環境とアイデア、この二つさえあれば誰でもホームページを開設でき、コンテンツの配信者となれる。つまり、自分が何物かを生み出す主体となれることを意味する。よく知られているのが、ネットの生み手と受け手では、圧倒的に前者の方が多いということだ。まだしばらくは誰もが主役になり得る時代のままであろう。

 徹底した受け手とは一生、情報を収集する側、さらに活用する側というスタンスのことを言う。コンテンツ作成に興味がないのなら、仕方がない。

 一方、徹底した生み手とは文字通り、発信への熱意、性質をもっている人のことだ。しかし上記のどちらにも属さない層が存在する。それは生み手になり得る受け手である。具体的に言うと「いつか発信したいけど今はいい」という層である。今はいいという理由については、想像に容易い理由が様々あると思われるので、あえてここでは詳しく列挙しない。

 

必要のない迷い

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 私は冒頭でやりたいことを一度でもいいからやって死ぬというテーゼを提唱している。それは何も、やりたいことを一つだけとは言っていない。いくつものやりたいことを実行できるし、(長い人生の中で)むしろ実行すべきなのだ。

 生み手になり得る受け手へ告ぐ。迷いこそ最も、人生をとどまらせるものであり、弊害だと言いたい。特にリスクの無い行為に関しては殊更である。

 

好きなことで生きていくことができる人は、一握りの人間である。

好きなことを実行し人生を終えることは、大多数が為せる所業である。

人生で迷うのは、スーパーの買い物くらいでいい。

 

本能で自然と体が求めるような事柄は、潜在意思による新たな人生への誘いである。

外的要因によってではなく、内的要因の強い衝動に従って生きていく。

 

時間に余裕ができた私がずっと考えていたことである。それがこの瞬間言えた。この居場所(自分だけのページ)を作ったのも、間違いなく激しい自己衝動そのものなのだ。

 

 

最後に 

尚、本考察は己が堕落しそうになったとき、振り返り軌道修正することができるよう、未来の自分への戒めとして書くに至った。最後は、改めてタイトルを復唱することで筆を置きたいと思う

 

好きなことで生きていくより、好きなことをして死にたい。