書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

僕の、ブログの悪魔に取り憑かれた瞬間。

 

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執筆開始6ヶ月目の私がブログを書きたくなる瞬間を二つ書き記す。個人的に、執筆と言った方が気分があがるので好き
 
後日談だがタイトルは初めA案とB案を用意していた。しかし、ギリギリになってB案が猛アピールしてきた。無論私は「がんばる子」の方を応援したい質なのでそれを受け入れることにした。
 

 

人のPV報告を見たとき。

以下の過去記事のように、私もブログを始めたてのうちはPV数を記録・報告するようにしていた。
 他ブロガーの運営報告を閲覧することは、私がブログを書く動機になるだけではない。過去の自分、すなわち初心を思い出すのにも一役買っている。とくに、自分のPVとケタが違うブロガーの数字をみると、純粋に「まだまだ頑張らないといけないな」という気持ちにさせられる。ハッと我に返り、焦燥に駆られるという言葉がふさわしい。馬がとつぜん騎手に手綱を強く引かれるような感覚。
 
 運営報告を継続できるような「忍耐力」はそのまま、今後ブログを書き続けていける「体力」に直結する。アクセス数を気にしながら、書く記事の内容種類、文章のつづり方、写真の使い方、広告の配置までも考慮する。それらは「自己管理能力」「研究力」にあたる。以上、述べてきた事柄いずれにも共通している要件は「自分と向き合えるか」ということである。
 
 花に水をあげるのを一日怠ると、二日、三日と先延ばしが当たり前になっていくような負の連鎖。一度ハマってしまうとなかなか本来のペースを取り戻しにくくなる。そんなとき他者のブログ運営報告をもって、そのまま自分のブログ維持のモチベーションにしてしまう。
 運営記事は、最後まで目を通したとしても5分かからず読めてしまうことが多い。その短時間で、自分の記事を一本書ける活力になるのだから非常にお得だ。これからは、その数字を見て一喜一憂するのではなく、自分のヤル気に変えてしまおう。
  
 

激しく心を揺さぶられたとき。

必要なもの。ぴんと張りつめたアンテナ、たぷたぷのスポンジ。以上

 

 
 気づいたら指が動いている。だけど一度立ち止まってみよう。内容の信ぴょう性を損なわないために、しっかりとまずは正しい情報を頭に入れ、理解するところから始める。
 最近再び読むようになった名書・外山滋比古著「思考の整理学」の中で「とにかく書いてみる」という項目がある。そこでは、書く前からあれこれ思案しすぎていると、書き出しが遅れてしまい、結局書かなくなってしまうことの危険性について示唆されている。まずは、筆の進むままに身を委ねる感覚が重要だということだ。
 あれこれ考えるのは書き出してからなのである。書き始めると意外なことに、思ってもみないことが文字化されていることがある。その発見が私には楽しい。肝要なのは最後まで書ききるということである。いったん完成させてから推敲を重ねればよいという話である。著者曰く、「最後まで到達している」という安心感が推敲作業に身を入れさせるらしい。
 話を戻す。何か衝撃的なニュース(私的なものでも可)を見聞きし、魂に突き動かされるがままに筆を走らせること。その合理性は先に述べた名書が証明している通りだ。
 
 

思いの集積が過去と未来をつなげる

 
 

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過去のこれまでの私は、何か感動的な体験をしても、日記に書くか、心に閉じ込めておくくらいしか手段をもたなかった。ブログを始めてから、本能のままに頭に浮かんだ言葉を書きつけていく手段を得た。誰かに気持ちを伝えたくなる。きわめて衝動的なものだ。誰かに今すぐ電話したくなるような心理に近い。
 
初めてディズニーランドに行った人がその帰路で記す文章と、一週間後に記す文章。どちらのほうが勢いあるかは言うまでもない。また読者はどちらを読んでみたいと思うか、これもまた明白である。そして、我々書き手が無性に書きたくなるのはいつなのか。物事を体験した直後ではないだろうか?
 
思いが合致しあう
書きたい書き手と読みたい読み手
 
ブログの存在意義がそこにはある