書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

タイトル詐欺になっていないか

 
 
私の場合は先に記事タイトルを決めてしまう場合が多い。初めにレールが敷かれていないと、書いていくうちに道を見誤りそうだからである。内容が途中でぶれていくかもしれない。
 
いわば、背伸びしたタイトルを予めつけて自分でハードルをあげ追い込むのだ。あとはゴールに向かって、タイトル負けしないように書き連ねていくままだ。どの写真をどこに挿入するか、反対に文章のみで展開していくほうが良いのか。外堀部分は書きながら頭に思い描いてく。
 
書きたい記事と読ませたい記事。そのどちらに重きを置くかで大幅に変更されるし、読者からすればこの記事は「書きたいから書いてるのか、読ませたいから書いてるのか」バレバレである。読ませたい記事とは一見「読者思いな記事」ととらえられがちだ。そこで、シミュレーションしてみる
 
 
私が他ブロガーの記事を拝読するときのことを思い出す。私が記事を読むときは、そのブログが「いかに自分の言葉で語られているか」に注目している。いくら5000文字で読み応えのある記事であろうが、500字の記事の方が心に残ることはある。それが、その人の人生経験で磨かれた「金言」であるなら文字数など関係ないのだ。タイトル︰私を◯◯文字であらわすなら。ブログなら、言葉なら、そうやって自分自身を表現し尽くすこともできる。
 
 
文字という無数の二次元の組み合わせは、無限の可能性をもっている。日本人は一般的に10000語を使いこなすが、英語圏においては3000語程しか使わないということを誰かの新書をよんで知った。大量の語彙からいくつかの言葉を選び出すという一行為だけで、その人の天性の一端、人生の1ページを垣間見ることができると思うのだ。
 
ただし、書き手として一番避けたいのは、読者に「このブロガーはいつもタイトルだけは一丁前だな」と疎まれることだ。今後せっかくビッグタイトルを引っさげたとしても、目もくれなくさせるという危険性がある。タイトルの安売りを毎回のようにしていては記載内容を期待、信頼してもらえなくなるということだ。
 
 
常に予想の斜め上をいく。瀬戸際をつつく。意表をつく。演題以上の演目を演ずる。
 
 
外山滋比古氏 著の「思考の整理学」の「テーマと題名」の項においても触れられている。題名が長すぎると、読者はそれだけで「もう分かった」という気持ちになることがあるそうだ。読むことそのものへの放棄である。さらに同項は、以下の一文で締めくくられていた
 
テーマはシングルセンテンス(一文)で表現されるものでなくてはならない
 
そぎ落とされたタイトルにこそ、真に駆り立たせるものがあるということ。表題とは本来、必要以上に飾り立てるものの類ではないということだ。
 
 
 
日常生活におけるショッピングに例えてみる。少々値が張ったとしても、客側が買いたくなる心理とは何か。信頼と実績の蓄積=ブランド がここではサイトネームにあたり、ブログタイトルにあたる。信頼度合、それは過去の執筆活動の結晶である
 
読者から「時間」をいただいた我々は、対価として「感動」をお返しするという役目がある。
 
息を吸うように文章をならべ、ため息が出るような表題を置く。 
二度見したくなるような、読後さらに余韻を噛みしめたくなるような。愛着のわく可愛げも欲しい。
 
読欲と語感のバランス
悩ましいがいつも燃えさせる
 
書き、表現しつづけることにゴールはない
ゆえに完成もない