書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

どこを切り取っても絵になる北野映画のように

 
どこを切り取っても
僕の分身であるかのように
まるで生きているかのような
何かを発したい
 
 
学生時代、北野映画にハマっていた。7、8作品を立て続けに鑑賞したりしていた。それほど、一つの作品を見ると、次 またその次と足を踏み入れたくなる中毒性がある。
 
北野作品は、どのワンシーンを切り取っても、一枚の絵になるほど美しいということはあまりにも有名だ。
 
 
 

憧憬

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それぞれの作品のもつ強いメッセージ性、展開の面白さはもちろんのこと、何より自分のスタイルを確立させている大人はカッコイイという私の認識があった。
 
彼の作品において、もはや象徴的となった大杉漣、寺島進、たけし軍団のタレントたち。
 
同じ役者であっても、一人の映画監督として実に巧妙に、彼ら演者のもつ全く違う表情を引き出してくれる。
 
ここで一つ、北野監督自身の人生観を表すエピソードを紹介したい。
 
〈大杉漣、北野監督 最初の出会い〉
 
その映画は北野武監督の『ソナチネ』(1993年公開)。やくざ役のオーディションに初参加した大杉さん。
 
「約1時間遅刻し、既に片付けが始まっていた会場で、スタッフと雑談する北野監督の元に歩み寄ったが、北野監督は2、3秒見ただけで「もう帰っていいですよ」との対応」(「スポニチアネックス」2018年2月22日)をしたそうです。
 
 大杉さんはあまりの時間の短さに、「受かるわけない」と思っていたとか。しかし数日後、「大杉さんでいきますから」と言われびっくりした、とインタビューで繰り返し語っていました。ご本人も驚いた、選ばれ方。その後みんなが知る大人気俳優となったのですから、たしかに「大転機」と言っていいのでしょう。

 

北野武の瞬時に人を見抜く力、それも結果的にはスターを見出している。自分と長い付き合いになっていくであろうパートナーを一目で嗅ぎ分ける嗅覚に、私はほれぼれしてしまう。
 
人との縁を積みあげ、数えきれないほどの出会いと別れを繰り返していくうちに、後天的に身につけていったものなのだろう。 
 
 

人生の再現

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北野映画ではよく人が死ぬ。殺されたり、車にひかれたり、まちがえて殺されたり、拷問されたりする。さまざまな方法で命を落とす様は、まさに「事実は小説よりも奇なり」を体現しているようだ
 
ついさっきのシーンまでぴんぴんしていた役者さんが、もう次のシーンでは虫の息なんて、ザラにある。
 
鑑賞途中で、映画をみているのか、現実を垣間見ているのか分からなくなってくる。今風にいえば、ドキュメンタリーのような、という言い方になるだろう。そんな錯覚だ
 
展開の予測不能さ、物語の急展開、リアルな人間模様にのめり込んでしまう。これも先述した、彼独特のスタイルであり、作り上げた世界観の妙といえる。
 
一度足を踏み入れると、逃げられない。
 
 

迷宮

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この人と話をしていると、この人のテレビを観ていると、この人のブログを読んでいると。いつのまにか、その世界の一部に自分が組み込まれているように錯覚するときがある。
 
入ったときは迷宮で、なのに抜けるときはテーマパークのような
 
好きにさせる というより、中毒にさせたい
 
それが実現なされた瞬間に初めて、自分のスタイルが確立された、と胸を張って言えるのだろう。
 
どこを切り取っても絵になる北野映画のように
 
分身を生み出し続けるんだという覚悟があれば、ちゃんと良いものは生まれてくれる、そんな気がする