書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

8月は血が騒ぐ遺伝子がプログラミングされている

 

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8月といえば、小中高と夏休み期を過ごしていた人がほとんどだろう。
 
小中高。6+3+3=12となり、その歳月はのべ12年間に及ぶ。
 
部活、恋愛、夏期講習、自由研究、読書感想文。
 
これらに打ち込み続けて12年
 
なるほど。毎年夏に何かしら血が騒ぐのは、このせいか。12年間も同じことをやり続けているのだ。
 
 
私の場合は7月中に宿題を終わらせた学年もあれば、8月をめいっぱい使って、やっと完了させたときもあった。そんな私はまず間違いなく、次のタイプに当てはまるであろう。
 
 
❝ 気まぐれ能天気型 ❞
 
 
読んで字のごとくである。やるときはやるし、やらないときはやらない。
 
普段外敵がいないときはのんびり貪り食い、異常事態になり初めて逃げだし始める、草食動物のようだ。己の感情や外的要因に左右される要素が強い。
 
 
ところで昔、私はゲームボーイカラーの名盤「ドラクエモンスターズ テリーのワンダーランド」にどハマリしていた時期があった。
 
ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド

ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド

 

 

 
モンスターを配合させまくって、強いモンスターを生み出し、敵を倒していく冒険者になりきる物語だ。
 
生み出されたモンスターには各々、人間のように性格が存在する。一番能力の高かった性格は「ゆうかん」だった。勇敢。
 
あるとき、いつものようにモンスターの配合に勤しんでいた。そして一匹生まれた。
そいつの性格は「のうてんき」だった。
 
 
当時まだ語彙力が無かった私は、その「のうてんき」という文字を漢字に変換できず、「これやばいかも。5文字やしなんか響きがいいし、これはユウカン並の良性格かもしらん」と鼻にかけていた。
 
しかし、しばらく歳月が経ち、私は気づいたのだ。
いや、気づいてしまった。真の過ちに。
 
 
のうてんきとは、能天気のことだったのだ と。
 
まさにこんな局面に遭遇している私こそが、能天気ではないか、と冷静にセルフツッコミをすべきだっただろう。
 
 
 〈時系列を現在へ〉

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果たしてあれから、私は成長したのだろうか。
 
確かに、今年の8月も安定して血が騒いでいる気はする。本読みたい欲も映画みたい欲も美味しいもの食べたい欲も自己承認欲も強くなっている。
 
でもがんばるのは8月だけでは駄目なのだ。
 1年通してがんばらないと。365日。
 
そんなに毎日意識し過ぎると、今度は「がんばる」がゲシュタルト崩壊を起こす。
 
 
辞書によると、「頑張る」は「一生懸命努力すること」と規定されている。それを見知った時点で、絶えず頑張り続けることは不可能だと思えてきた。
 
だから、私は「がんばる」ことについて再定義したいと思った。自分の中で、自分のペースで、つくり上げるのだ。
 
昔は、主体である自分はとにかく何も考えずがむしゃらにやって、あとは人が評価してくれるもの、という考えが根底にあった。
 
 
考えがかわった。
何も、人に見てもらわなくてもいいではないか。また、そういう人を探す必要性もない。
 
共感・応援してくれる仲間がいなければ、人は「がんばる資格」がないのか。否だ。がんばる資格は誰にでもある。
 
幼いときは、やるべきことを全部説明してもらって、人に言われたことだけをやってればよかった。
 
それが今尚、同じように8月だけ頑張っているようでは、幼いときの自分から成長してないことを意味する。
 
 
これから、私が新しくセルフプログラミングさせるならば、こうだ。
 
 
がんばる資格は誰にでもある
顔は進行方向に向いている
みな同じ方向に向く中で
ただひとり笑ってればいいだけだ
 
8月外もアクションを起こし、遺伝子を変えればいいのだ。
ただそれだけ。