書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

我々20代若者のスマホとのつき合い方を真剣に考えてみた。

 

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今までの私は、スマホが鳴るとほぼノールックで、ロック解除に向かっていた…
 
 
 

通知の支配から逃れよ 

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通知をやりすごすと、通知は別の意味で心地よくなる。スマホがふるえるたびに、元気な愛犬ポチをなだめるような感覚。おーよしよし。たまに、ムツゴロウさん。ポケットの中のペット。
 
あ、さっき僕がツイートしたやつに、誰かいいねくれたんかな。あのときの抽選あたったんかなー。よき方へ妄想が進む。
 
ヒントはバイブレーションの仕方のみ。しかし、どんな通知が来てるか中身まで分かるはずがない。その状況下で、種々の通知内容を妄想するときの楽しさは、言い換えれば大人の余裕でもある。
 
 
スマホはマナーモードで十分だ。緊急性・重要性が高いのは電話のみ。しかも、その電話もまず掛かってくることはない。
 
究極はサイレントマナーモードという手もあるが、そうすると今度は、いつどんなタイミングで、どんな通知が来るかまったく予想がつかないので、逆にそわそわし過ぎてしまうから。私はやらない。
 
 
 

物質的支配から逃れよ

 

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通知的支配から克服できた人のための、さらなる上級手段をご紹介する。まず自部屋(パーソナルスペース)内には、スマホを置かないようにしてみよう。
 
ここで重要なポイントは、自分の目に届かないところにスマホ(以下、邪悪な物体とする)を設置するということだ。視界に入れないということは、その邪悪な物体が、存在しないのと同義となる。
 
一方、スマホ依存度の低い人は、自分の背後にスマホを隠しておくだけで十分かもしれない。しかし、高依存度の人はやはり、となりの別の部屋に邪悪な物体を完全移動させることをオススメする。
 
 
となりの部屋の邪悪な物体をまた触りたくなった場合は、わざわざ片膝を立て、対象物の方へと歩を進めていかねばならない。一度実践してみるとわかるが、意外にも、めんどくさい障壁は欲望のストッパーになる。
 
スマホを触るときは大抵、無意識で、簡単に、ほぼワンステップでその行為に至っていることが多いと思う。無意識で為せる技が、少し面倒くさくなるだけで、かなりの行動意欲が削がれるはずだ。
 
ある著名人の名言にもある。
 
「一つのことをやるか、やらないかの違いは、その物事が面倒であるか、面倒でないか という一点から始まる。」
 
 
 
 

充電中くらい休ませてやれ

 
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友人と会食に行くとき。町中のカフェのお隣さん。
席につくや否や、コンセントがあれば、コンセントにぶっ刺す。コンセントが見当たらなければそれはそれで、持参してきたモバイルバッテリーにやっぱりぶっ刺す。
 
先程は、邪悪な物体として叩きのめしてきたが、ここでは満身創痍の物体としたい。
 
「充電しながらのスマホ操作はバッテリーの寿命を縮める」という常識が浸透しつつある昨今においても、お構いなしというユーザーの多いこと。
 
ただでさえ会食中は、スマホなど触ってほしくないのに、あろうことか、この期に及んで、その物体の延命まで図ろうとするのだ。
 
 
つまり、ユーザーはスマホの電池残量に左右されない。すなわち、物理的に「スマホを触れない」という状況はどうやっても生まれないことを意味する。ここに、半永久的な支配関係が成立する。
 
私の場合は、逆にそこにチャンスを見出す。独自のマイルール、適用だ。充電中はスマホを触らない。これで、さらなるスマホの中毒化を軽減できるし、充電スピードを妨げることもない。
 
私ほどになれば、「充電中くらい休ませてくれ」という無機物からの心ある声がきこえるようになるのだ。
 
 
 

スマホに触らされている

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予定を書き換えないと、と思いスマホを起動する。その動機自体は至極まっとうなものだ。だが、問題は、アクセスしてからのほうだ。
 
スケジュールアプリを開いて、次はLINEを開いたり、YouTubeを見てみたり。もっと最悪の場合、本来の目的であったスケジュールアプリさえ開かず、他のアプリで楽しみ尽くして、最終的に笑顔でスマホを置くという結末を迎えるときがある。
 
そのとき初めて、「あ、そうだ。予定変更をするんだった」と思い出す。いつか、スマホが将来痴呆をまねくという研究結果が発表されるのも時間の問題ではないか。
 
 
 

急進国インドにみる道具の可能性

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我々はもっと気を引き締めなければならない。この四角い機械を作ったのは人間。操っているのも、現段階では、我々人間である。
 
触らされているという自覚があればまだいい方だ。しかし、その自覚もなく本当に無意識であるならば、相当に危険だ。
 
いつか売れていた本で、だれかが言っていた。
 
❝ インド人にスマホをもたせたら、我々日本人は果たして立ち向かえるのだろうか ❞
 
インドはいま、急成長中の国だ。とくに掛け算は、国民全員が2ケタX2ケタの暗記を強制させられていて、数学に対する関心が高いのは有名な話だ。
 
さらに合計人口は、2016年の段階で13億人を超えているそうだ。このままいけば、将来的には2024年には中国を抜いて、世界首位の人口規模になるという推計が出ている。
 
一人一人が飛び出したがっているインド。
それに対し、
一人一人がこもりたがっている日本。
 
同じ物であっても、使用者の如何によって、それを使いこなすのか、それに使われるのか。それは道具にもなれば、ただ、寂しさを紛らわすためだけのオモチャにしかなり得ないのである。