書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

月末、ブログに駆け込むやつ

 

どうも。どうも。
どうもを二回重ねたことに意味はありません。


あいさつが、久々にしたあいさつが、勢いあまるやつです。よくあるやつです。

 

まずご報告を。ボク、ちゃんと、生きてました。


そして、なんとしたことでしょう。

(もう、話はかわります。)


久々のブログ登場にも関わらず、全然ワタシらしさがまったくもって、失われていないことに感動。


つまりそれは、一カ月くらいは何も書かなくったって、新たにうみ出す文字の中に、自分を見失わないということが立証されたわけで。


あとは、喋ることに関しての実験をすれば、もういろいろと完璧なわけだ。


一カ月、誰とも喋れなくとも、自分らしさを損なわずに、自然に会話できる説。これあげますから、誰かやってください。ダウンタウンさん


ともあれ、そんなことしても寂しくなるだけですね。目にみえます。はい、もうみえました。のでいいです


実際の私は、無職時代の私は、本当につらかった。私?何がノギヘンだ、このやろうってなくらい意味不明でつらかった。誰からも、一人前の社会人として認められないことが、ここまで胸にくることだとは。もうこれ以上の人生において、感じることはそうそう無いだろうってくらい。


まぁ肝心のそのお話の中身については、今後、ここに、書くかもしれんし、書かんかもしれんし ってことで。まぁ手帳にはちゃんと文字にできてるんだけど。自分しか目にできないものだから

 


やっぱ、常に状況が変化しつづける人生において、一番重要なのは、決めないことなのかな。って。


だけど。一区切りは大事だよ。
一日や、一週間や、十日間や。


そして、今回、いま現に駆け込んでいる月末。一カ月という線。


これも立派な、人生における、区切り。


たかが、一年の十二分割。


それなら、1日はもっと、一瞬だ。


一瞬くらい休んでいいけど、一年は休んではいけない。止まってはいけない。


迷ったら、ひとつだけ意識していることがある。


なるべく止まらないようにすることだ。


そうすることで、漠然とあとで振り返ったとき、目がいくのは、成功でも失敗でもないと思っているからだ。


それは、あのとき、自分が止まらなかったか ということだ。その記憶経験は、未来の自分をさらに強くさせる、自信の源のようなものだ。


新しいスタートをきった私。
もっと慎重にならないと。
適度に急いで。


ときには、


ひと区切りで自分を変えてみる。
そして、一瞬だけ休む。
それ以外はすべて楽しむ。


そんな人生もありですな、うん。


いや、いいきったそれすらもたぶんぜんぶまちがいなのだ


なにも決めないことが「人生」なのだから