書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

出力専用機クロームブック越しにみる世界

 
 
今月にクロームブックを購入し、2週間が経った。本記事のタイトルを「クロームブックを2週間使った感想」等という安易なものにしなかったぶんの熱量を込めた。一通り生活をともにしてきたので、またここで愛を語ろうと思う。こいつのことはだいたい理解した。
 
以下記事と内容が重複するところもあると思うがそこは、いいことは人に何回でも言いたくなるという、真っ直ぐな気持ちと受け取っていただけたらと思う。

キーボードブロガーのメリット

 ノートパソコンの性質上、腰をすえて文字を打ち込むことが自然になる。わざわざ、ベッドに寝転びながら入力するほうが難しい。ビジネス用途を想定された形状なのか、やはり椅子に腰をすえてタイピングするのが一番相性がいい。それに、このぱちぱちと小気味良いタイピング音も好きだ。ユーチューブにマニアックな音フェチ向きなものがある。それはタイピング音だけを収録したものだ。
 
 ノートパソコンの打鍵音も悪くないのだが、中でも私は小学校の図書室にあったような、ブラウン管テレビのような画面をもつ、あの大袈裟なパソコンの打鍵音にときめく。わざわざ、マニア向けにその音だけを収録したものも投稿されている。ノートのぱちぱち。ブラウン管のカタカタ。カタカタ、カタッ! 〆めのエンターキーが非常にエンターエンターしてて好きだ。
 
 
 

ウィンドウズ、いらん。

 私の現スマホはアンドロイド搭載機種である。もう使い始めて、2年半以上たつ。その前はiPhoneを愛用していた。iPhoneは分かりやすくてすぐに慣れた。アンドロイドもこれだけ使っていると、自然とわかってきて、気づけば自分の生活に密着していることがわかる。天気を音声で教えてもらい、朝アラームをかけてもらう。知りたいことももったいぶらず、すぐ教えてくれる。
 中には自分の大事なパスワードも、そのサイトのIDを打ち込むだけで、いつの間にか勝手に入力されている。そのおかげで、自分の頭で覚えているパスワードというものは皆無になった。IDを入れるだけで、同時にパスワードが浮かび上がってくる。鍵穴にカギをかざすだけで、その鍵穴に形状変化するかのようだ。魔法ではない。これはテクノロジーだ。
 
 2年以上もグーグルに依存しつづけた結果は、これからもグーグルに依存し続ければならないという現実だった。だから、インターネットえくすぷろーらぁくらいには、霞んで見えてきた。検索エンジンをChromeにするだけで、恩恵が引き続き受けられるならそうしてしまう。いんたぁねっとえくすぷろぉらぁ になるのも時間の問題だ。これがアンドロイドではなくiPhoneを使い続けていれば、選択がChrome BookではなくMac Book Airとかになっていたかもしれない。めんどくさがりやだから。
 
 そんなことを考えると、最初の選択を最後まで続けることってなかなか責任重大だなと思う。Googleの倒産は無い(少なくとも私が生きている間は無い)と思うし、そうなればこれからもよろしく、となってしまう。
 Microsoftは、Surfaceという21世紀に残るような素晴らしいモノを生み出したが、Googleは人々の生活に必要なサービスを生み出した。前者はビジネスには欠かせず、後者はプライベートに欠かせない。いずれの製品やサービスにも、素人目からみてもわかる理念よりもっと強い「統一された信念」がみられる。日本はものづくりに長け、アメリカはサービスづくりがうまい。
 
 Apple、Amazon、Facebookはライフスタイルを創造した。トヨタ、ソニー、パナソニックはモノを創造した。より他民種を受け入れるためにはライフスタイルを統一することが必要で、島国を確立させるためには何か形あるものを欲し、自分たちの生きた証を残したかったのか。勤労の国の分かりやすい、目に見える形での、企業の能力価値の結集としてのモノを。
 
 
 

ちらりと映るドヤ顔

 光沢のあるタイプの画面であるうえに、保護フィルムも何も貼っていない。タブレットとしてもいけるが、その使用用途は想定していない。したがって、指紋がちょっとつけば、手元にあるメガネ拭きを使いさえすれば事足りる。スマホよりも画面が大きい。そうなれば、自分の真顔全体が必然的に写り込んでしまう。このパソコンのオーナーは、真面目な顔立ちをしていることがわかる。己のブロガーとしての表情が確認できる。
 
 顔が死んでいるときは、いったんタイピングを休ませる。やる気スイッチの判断材料がふえたということだ。スマホで打ち込むよりも両手で打ち込み、背筋も自然と伸びるので、これだけでも購入した甲斐がある。感じるのは疲労よりも達成感である。スマホでは成し得なかった、ユーチューブを聴き流しながらのブログ作業。これだけで一日に記事が二本も三本もかけそうだ。ずっと浸っていたくなる空間。
 
 自分の居城に新製品を導入するのは、金銭面以外にもハードルが高く、勇気のいることだ。1週間まではいいが、1ヶ月、2ヶ月経てば落ちぶれてしまうものもある。売りに出すことさえも億劫になり、そのまま家の負の遺産となる。
 

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 ただそれが、受け入れられ、生活に溶け込んできたとき。購入するまでの自分の苦労や葛藤が報われたような気分になる。ほら、ちゃんと自分のことをわかっている、と。年齢を重ねるごとに無駄使いが少なくなっていくのは、自分の生活や思考のクセ、自分に本当に必要なもの/不必要なものが分かってきたからだと思う。少なくとも「必要なもの」と「欲しいもの」の区別はつくようになる。
 
 製品を購入したとき。生活に溶け込んだとき。寿命を迎えたとき。我々はその製品に対し思考の転機をむかえ、図らずも敬意を表したくなる。また買おうという購買意欲は、企業を社会を国を世界を突き動かす。結果それぞれの選択は、それぞれの時代を作り上げる。果たして、いま、あなたの手元にあるものは時代の息吹を感じられるものだろうか。その購買行動は、ライフスタイルを買っているのか、モノを買っているのか。カラフルな画面の前、必要と欲求のはざまで、ふと我に返る。