書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

おしりに生えた根っこを切る方法を教えてください

 

土日はどうでもいいのだが、平日はスーツに身をつつみ戦場に出向かなければならないので、どうにもとはいかない。例の根っこが生えてくるのは、ご飯を食べて、こたつに入って、スマホをいじりだしてから30分後以降だ。30分経過するまでの間は、少しだけだから構わないだろうということでまだ辛うじて自我が存続している。しかし30分以降は未知の領域だ。まずスマホから目と指が離せなくなる。


暖房の風もちょうどいい塩梅に循環してきた。こたつも体に馴染んできた。ますます抜け出せない。これを我が家では「おしりに根っこが生える」と呼んでいる。愛嬌も皮肉もこもっている。居心地が良いこと、他にやることがないこと。この2つの条件が揃えばそれは自動発動する。暖房もこたつも仕上がってくる。空気が乾燥する。水分を欲する。100%オレンジがあるならそれを。おいしい牛乳があるならグビリと。もはや自然の摂理である。


植物が水を欲するように、根っこが生えた人間にも同様に水が必要である。ジユースというナノ補給飲料である。だが補給したが最後。悪の連鎖のはじまり。ジ・ユースでジ・エンド。これも一般的によく知られている。


ぶくぶくと膨れあがった偉大な根っこを抜くには、それなりの助走が必要になる。童話・おおきなかぶのような。しかしこの場合、状況が違って特殊な点は、誰の助けも得られないということだ。他人に 私の根っこを抜いてください とお願いしても当の本人が抜き方がわからないのだから他人も抜きようがない。そうこうしているうちに、運命の30分がヘタヘタと音を立ててやってくる。持ち主は懐の鎌を研ぎ澄ます時間だ。もう忍ばせてもよい頃合いだ。友人から電話がきた。終わった。きょうも。


いや、どの道終わっていたのかもしれない。今日という日は。そうだ、私は言い訳を探していただけなのだ。このまま惰性のまま、何も考えず、ずるずると這いつくばることの大義名分を探すための時間に過ぎなかったのだ。言い訳が見つかった。友人との電話。友人に感謝しなければならない。


ありがとうと言いたい。おしりに生えた根っこに存在の意味を与えてくれたのだ。一日の終わり。本人は少しの後悔とともに眠りにつくだけ。今度はおしりではなく、背中へと場所をかえて。つぎのあさ、また、根っこを引きちぎるところから始まる