書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

定時に帰れるのに元気がないよぉ。

 

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※ていじに!かえれるのに!げんきが!
 ぬぇい!  
※以上、くりかえし。
 
 
定時に帰れるのに元気がない。日付かわる間近までオフィスにいた頃を思うと、今の状況は贅沢甚だしいと思う。本当に人間とは欲深い生き物だ。定時超えサービス残業。しかもいつ帰れるかわからない。それは、もちろん疲れる。あたりまえだ。私が理解できないのは、定時に帰れているというのに、帰宅後に疲れが残っている点である。ごはん食べて、テレビで笑って、こたつで温まって、良い気分になって。気絶する。なぜ気絶。いやいやそれは仕事に没頭している証拠だろ、とか、入社して間もない頃は気も頭も使うし無理ないよ。という言葉をセルフでかけるくらいには疲れてる。
 
 
こう見えて私は「つかれる」という言葉は嫌いだ。他人の放つ「しんど」「つかれた」「あーだるい」ほど意味のないネガティブワードも無いとおもっている。しかし、私も人間だ。私自身のなかの負の感情の中に「つかれた」という言葉が浮かぶときくらいある。体の悲鳴かもしれないそれは、深刻に受け止めるべきだ。休養とらねば。湯船に浸からねば。ビタミンCを摂取せねば。あーもう、何もかも面倒くさいから、お風呂に幾らかみかんぶちまけて、すべての望みを叶える、リアルビタミンC風呂にでも浸ってやろうか。
 
 
地獄絵図

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文章を書くときの感情は三種類ある(唐突) 正の感情に突き動かされる時と、乱の感情にかき乱される時と、負の感情に押さえつけられる時である。負のダラーっとした空気感で、ヌメーっとした記号を仕方なくばら撒くような感覚だ。そういうときの文章はやっぱり生き生きしてないのだ。文字と記号のちがいかと云うくらい「生」が宿ってない。
 
 
定時に帰れるのに元気がないというのは、自分の思い通りにいってないということ。周囲の期待に応えられていないのか。自分の理想と実際の実力との乖離があるのか。単に達成感がないのか。いや、でもやることはたっぷりあるぞ。はたまた単に、この先の未来を想像できないのか。そんなボックでも帰ってきてちゃんと自炊してるし、やりたいゲームも、読みたい本も、観たい映画も我慢しないでちゃんと全部楽しんでるよ! どちらの自分が好きかと聞かれると、やはり家にいる自分である。そのギャップ?二重生活性?につかれているのかもーね。大好きな かき氷とぜんざいだけど、一緒に食べるのは抵抗あるような。やはり別々に食べるのが美味しいわけで。いくら単体が超絶美味であったとしても、冷たいもの熱いものを同時に食すなんて、余程のイジワルかゴウモンのどちらかなわけで。一気にいらない。かき氷かぜんざいのどちらかでいい。かき氷を今日食べたら、ぜんざいは明日たべるから
 
 

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はー今日も、体が重い。
そうだ、僕の会社の近くに、めちゃくちゃいい言葉があったな。
それは、お寺の掲示板みたいなところに貼りつけてあった言葉。
住職が書いたのか、縦書きのクセのある筆跡。
しかし、それはまっすぐと僕のここにとびこんできた。
そして、グサリと突き刺さる。
 
” 良き事のみ、思い出す人のみ幸せである。"
 
私にもまだ希望を感じ取れる感受性くらいはあるようだ。