書くザトウクジラ

寄り道こそ、王道。

あなたの1時間の値段はいくらですか?

 
 
もしも、
自分の時間に値段をつけるとしたら
いくらになりますか? 
 
ホリエモンが言っていたことなので、僕も気になり考察。具体的にはこの本に書かれている。
 


多動力 (幻冬舎文庫)

 
 
 そもそも、堀江貴文という人は自分では一切の家事をやらないそうだ。徹底的に外部業者に委託しているとのこと。それは一時間3000円でも4000円でも依頼する。僕は、自分が何か他のことをしているときに自動的に家事が完了しているというメリットを鑑みても、この値段を高いと思った。だがどうやら、その時点で僕の「負け」は決まっていたらしい。そもそもこの価格が高いと感じた人へ、彼は次のように述べている。
 
“ 自分の1時間を3000円の価値もないと感じているなら、そもそも、その時間の価値をあげるように努力したほうがいい。"
 
 さすがに胸に響いた。これまで考えにも及ばなかった概念だ。たとえば今僕はこうやってせっせとウェブログを付けているのだけれど、そもそもこの行為においくらの価値があるというのだろうか。(アドセンス、アフィリエイトという意味ではなく)
 
 ブログにかぎったことではない。人は毎日ありとあらゆることを頭に思い浮かべ、それを実行に移すことで人生を謳歌している。ただ「やらなければならないこと」はそれとして、どこかで諦めの境地に達したりしていないだろうか。どうせ今日も明日もおんなじだ、等と。脱出不可能な輪廻のなかを彷徨っている訳でもあるまいし。
 
 そもそもその行為は、「やる」に値することで、さらに「付加価値」のあることだと言えるのか。ただやらなければならないから、ただやっているだけということほど無意味なものはない。
 
 日常生きていると、ハッとさせられることがある。その瞬間について思い返してみる。それは、初めての壁、初めての発見、初めてのアイデアに運良く巡り会えた奇跡的な瞬間にちがいない。私の場合、それは今回のようなことだ。ホリエモンの本を読んだときであった。
 
だが最初は、時間でさえお金に換算するという思考法に多少私も拒否反応があった。確かにそれを正論と認めるには極論であり、あまりに直接的で、迎合に値するアイデアではないのかもしれない。だけれども、目の前が新しく開けた感覚。これは本当だ。
 
デジャブ感満載のありふれた日常に、「そもそも」という切り口でメスを入れる。そうすることで、切り開ける世界がきっとあるはずだ。